スキニーライフBLOG.

「余計なモノと思考を持たず、自分サイズに暮らす」そんなスキニーライフを送るスキニストのBLOGです。シンプルに暮らすことで幸福度はあがります。ボクのスキニストとしての体験段を交えながら、自分のサイズを知った上で自己実現していく方法を紹介します。 《脱サラ・元起業家・依存症・メンタルヘルス・心理学》

依存症克服の先にあるものを考えると鬱な話。

ギャンブル、アルコール、セックス。

色々な依存症がある。

依存症経験者は、その辛さと痛みを共有できる。

と同時に、克服の先を考える怖さも知っている。

 

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◇先ずはおおまかに依存症のこと◇

何らかの依存症に悩まされ、日々自己との戦いに疲弊している方は数多くいます。

明日をも知れぬ不安感や絶望感は、経験した人間にしか理解されないものであるために

周囲からのプレッシャーもハンパではないです。

身体的、精神的に様々なものを背負わなくてはならないのが依存症です。

 

一口に依存症といっても、大きく2種類にわかれていて「特定物質依存症」と「特定行為依存症」があります。

前者については、たばこのニコチンやアルコール・ドラッグと呼ばれる薬物など、ある特定の物質を摂取し続けないと落ち着かなく気が済まない状況になるものをさします。

後者は、パチンコなどのギャンブルやオンラインゲーム・セックスなど、直接心身を破壊するような物質ではないものの、仕事や私生活が手につかなくなるなど社会的な問題を引き起こしてしまいます。

 

いずれの依存症の場合も、結局のところは「脳の病」であることに変わりはありません。

脳に作用するカフェインやアルコールといった物質により、脳神経に変化が起こってしまうため、依存物質に対して自分が持つ「本来の樽」が以上に大きくなり摂取量に歯止めがきかなくなります。行為依存の場合も、脳からでる「ドーパミン」が通常の分泌量以上出ている場合に、普段以上にその行為に快感を覚えてしまうので、次から次に求め繰り返してしまいます。

 

依存症になったのは最終的には自己責任とはいえ、脳が関わっている以上「マインドコントロールされている状態」に近いので、その状況からの脱却は困難を極めます。

それに加え、依存症患者は普段は温厚な人であったり真面目な人だったりすることが多いため、「ただの怠け者」や「自分に甘いだけの弱い人間」という扱いを受けるのが日々の常となっています。

そういった世の中または周囲からの扱いも、依存症者の早期立ち直りの足枷となっています。

 

◇克服に向かうまでに払う代償◇

このままではダメだ、どうにかして克服したい

そういう気持ちと身体の具合、周りの環境などの好条件が整ったタイミングでいよいよ

依存症克服へのチャレンジが始まります。

しかしながら、そのようなタイミングを迎えるには代償が伴います。

 

脳からの支配を振り払い、克服への辛く長いチャレンジへ向かう為には「大きな代償」を払う必要があります。

それは、「もうその物質(行為)による一時的なメンタルケア(ストレス軽減)ができなくなる」「克服を決意させる程の大きなトラブルを既に引き起こしまった(警察沙汰含む)」の2点です。

克服に向かう道中は長く辛いものなります。

普通に社会で生活していれば、お酒やタバコ・パチンコやゲームに関してはすぐ手の届くところに常に存在しますので、今までそれらで満たしてきた脳と身体は求めてしまいます。

それに抗いながらのチャレンジは、依存物質による離脱症状や幻聴幻覚に襲われたりするので、最悪発狂し社会的問題を起こすかもしれません(そのために、専門外来があり自助グループによる相互介助も今は発達しているので稀ではあります)。

 

◇克服へのチャレンジに向かう心境◇

ただ、そういったリスクがあることは依存症患者はすでに理解したうえで克服を決意するものです。

なぜかといえば、すでに何らかの形で周囲に迷惑をかけてしまっていることを「自分自身で認め=脳が事実をようやく認識」できたからだと言えます。

依存症に陥っている間は、脳が支配されていますので自分の依存行動がそこまで重傷で悪いことだとは認識できなくなっています。

だから、残念ながら他者を傷つけてしまったとしても、それに対する周囲の助言などが脳に入ってこないんですね。致し方ないと言えば批判を受けますが、あくまでも病気であり「夢と現実の狭間でいきている感覚」なのが依存症です。

さて、そういった状況下で克服へのチャレンジをするわけですが、それに際して最も恐怖なことがあります。

克服した先にいる自分が見えない。」

 

これまで散々依存してきた物質と別れるのは、恐怖と孤独を感じるものです。なにか、長年付き合った彼女に突然別れを告げられ目の前から消える感覚のように。

 

人間は、誰でも少なからず将来への展望は期待する生き物ですので、依存症を克服できたところで自分に残るものはなんだろうと考えてしまいます。

 

そう考えてしまう要因として、「これまで依存物質のこと以外手につかず、本来できたであろうことができなかった」「それなりに年月が経ってしまい、やりたいことの開始時期を逃した後悔の念」ということをぬぐい切れない点にあります。

 

何かを始めるのに時期や年齢は関係ないと言われますが、依存症経験者が失ったものは時間のみならず、お金や信用そして人脈と「ほとんどすべてをロス」していることが多いので、断ち切れないマイナス感情はどうしてもあります。

それらとうまくこれからも付き合い、リスタートを切れるかの不安は常につきまといます。

 

とはいえ、行動しなければ何も始まらないことを既に理解し動いているとすれば、それはすでに第一ゲートは突破しているので、焦らずゆっくり、趣味などを通じて依存物質に頼らない「まったく新しい自分をはじめる」チャンスと捉えて、もがきながらも前向きに前だけを見て走り続けていくことです。

 

人生一度、豊かに、より豊かにしたいものです♪

 

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