スキニーライフBLOG.

失敗は成功のもと。とはいえ、誰もが恐れるのが失敗です。そんな失敗を回避すべく、ボク自身の経験・体験を包み隠さず綴ることで、みなさまの反面教師になりたいと思います。雑記。        #脱サラ #転職 #起業 #依存症 #スキニーライフ

ビジネスに活かす「論語」でシンプル思考を循環させよう。@スキニーライフ

サラリーマン生活における最大の課題なのは

モチベーションの維持に尽きる。

その乱高下の影響が仕事の結果にそのまま響くのは厄介だ。

その為にも、孔子の教えである論語のエッセンスを取り入れよう。

f:id:nishijima150907:20170919211359j:plain

◇スキニーライフを実践する人=スキニストとは↓↓↓◇
余計なモノや人間関係、考え方を持たずに「ぴったり自分サイズな暮らし」を実践する人を指します。

 

 

 

◆導入&読みどころ◆

節操のないサラリーマン生活を続けていると、どうしても思考がマイナス方面へ陥りやすいものです。しょうもない人の言動に腹が立ったり邪魔をされたりすると、どうしてもマイナス感情のプールが溢れそうになります。そんな時は、孔子の言葉に耳を傾けて尚且つ、思考が濁ってしまった時の浄化剤として役立ててみてはいかがでしょうか。

 

今回は、北尾吉高著『ビジネスに活かす「論語」』より、きれいな思考に循環させるための言葉・考え方を5つピックアップしつつ、ボク自身のこれまでの体験談を交えながら紹介していきたいと思います。

『ビジネスに活かす「論語」』

『ビジネスに活かす「論語」』

 

 

①相手に合わせ、学ぶ意欲を大事にした孔子の教育法

孔子の教育法の特徴の一つとして、学ぼうとする意欲を大切にしていたという点です。

決して一方的に教えたわけではありません。

それをよく表すのが論語の次の言葉です。

憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず。一隅を挙げてこれに示し、三偶を以て反らざれば、則ち復たせざるなり

これは「啓発」あるいは「発憤」の語源となった言葉ですが、「学びたいという気持ちがじゅくじゅくと熟して盛り上がってくるようでなければ指導はしない」、そして「今にも答えが出そうなのだけどなかなか出ずに、口ごもっているようなギリギリのところまで来なければ教えない」、また一隅を取り上げて示したら、残りの三つの隅がピンとこなければダメだ」といっているのです。

孔子が門弟たちの自発的に学ぼうとする意欲を非常に大事にして、そういう意欲を高めてやろうとしていた気持ちが良く伝わってきます。孔子は熱心に弟子たちを教育する一方で、自ら真剣に学びを追求した人でもありました。偉大な教育者というのは、人に教えるだけではなく、自らも常に学び続けていく人でなければならないと思います。

 

皆さんの中には、部下の教育や我が子の子育てに行き詰まりを感じてしまっている方がいらっしゃるかも知れませんね。

ボク自身、部下の教育については幾度となく挫折を味わいました。指示無視、悪意のある連続の仮病欠勤など、こちらが体力的にもメンタル的にも相当な負荷を負わされることがしばしばあり、思考が汚染されていきました。

当時は、「何でこんなこともわからないの?」なんて思いながら指導にあたりましたが今を思えば自分自身に恥ずかしくなります。何もわかっていないのはボク自身でした。

教育にあたる大半の人が陥ってしまうパターンとして、「ただ自分の考えを押し付けてしまう」ことが挙げられます。いくら教育にあたる立場とはいえ、神でも仏でもないし、もっと言えば別に偉くもなんともありません。

ただちょっと、相手より「特定のジャンルについてだけは知識がある」程度に過ぎません。下手したら、人生経験における総合点は今から指導をうける側の方の方が優れているかもしれません。

 

ここに孔子の言葉を取り入れるのならば、教育者はエゴイストにならず、どうしたら自分の考えを共有してもらえるか、または仕事や学業を楽しんでもらえるかを引き出すための施策を打ち出して、相手から歩み寄ってもらう努力をすべきですね。

 

子育ての場合は、ここでもやはり親のエゴを押し付けるのは御法度です。

それぞれの家庭や両親の「願い」はあるでしょうが、子供は一人の人間でありAIではありません。プログラミングで操作ができない以上、親がバカでは仕方ありませんからしっかり頭を使うべきです。もし野球をやらせたいなら、「どうやったら興味をもってくれるか」「一緒に楽しむにはどうしたらいいか」をロジカルに考えましょう。

 

 

②自らの分を知る

自分に与えられた使命を知ることも最終的には大事なことです。よく知られるように、孔子は「五十にして天命を知る」と言われました。自分の天命がいかなるものかを明らかにするとは、仕事に置き換えれば「自分の分を知る」と言い換えていいように思います。

自分はここまでだ、と知ること。その中で満足をし心の安らぎを得ていく。そういうところがないと、いつまでたっても「なんで俺はこれだけやっているのに評価されないんだ」となって、他人が悪い、天が悪いというネガティブな世界に入り込んでしまいます。やはり「命を知らざれば、以て君子たること無きなり」なのです。

人それぞれに天命というものがあります。天命とは天から与えられた使命といってもいいでしょう。その使命を自覚することが大事なのです。そしてその使命が大きいものなら、それに対して人一倍の努力をしていかなくてはいけません。与えられた使命の中で精一杯の努力をし続けていくのです。その結果として、人間力も高まり、仕事力も身に付き、どのような境遇に置かれようとも安心していられるようになるのです。

 基本的に欲深いのが人間で、無欲を主張している人の大多数は嘘つきであると考えています。普通に生きていれば欲しいものは消えることはありません。地位や名誉、お金など、形は違えど人間みな何らかの野望的なものを持っているでしょう。

しかしながら、一回の人生において全てを手に入れる人間は皆無に近いものがあり、望めば望むだけメンタルバランスが崩れてしまいます。

なので、自分のやるべきこと成すべきことを早期に理解し、それについての探究を怠らないことがより良い人生となり、世間や周囲へも好影響をもたらすことでしょう。

 

③「一以て之を貫く」強固な意志を持つ

孔子の一生はまさに一つのことで貫かれていました。「五十にして天命を知る」それから七十三で死ぬまで弟子たちの教育に全精力を注いだと思いますし、それ以前の「十有五にして学に志す」というところからして、彼の生涯は「この世をどう生きるか、どうしたら人々は幸せになれるのだろうか」という問いへの答えを求め続けたものであったといってもいいでしょう。最初に志した「学」には、「礼・楽・射・御(馬術)・書・数」の「六芸」が含まれていたわけですが、孔子が最も重要視した学は人間学だったのだと思います。どういう人間になればいいのか、ということを生涯かけて探求し続けたという意味において、孔子の一生は十五歳のときからずっと「一以て之を貫く」ものであったのです。

~中略~

そういう意思の強固さがなければ、二千数百年もの長い間、廃れずに続くような偉大な思想を残せるわけはありません。孔子に限りませんが、偉大な業績を残したリーダーは、意思が強固であるという共通点を持っているようです。「一以て之を貫く」強固な意志がリーダーには必要不可欠なのです。

 1つの物事を途切れることなく続けるのは、実に難儀です。「継続は力なり」とは言いますが、ずっと続けることで完全に自分のものにして、何にも替えられない財産とすることができます。

プロ野球選手のように、生業としてお金を稼げる「実生活に直結する」パターンもあれば、直結的にはビジネスにはならないけど誰よりも詳しい専門ジャンルを1つ持つこと「確実に自分自身のバリューをあげている」といった部分になります。

孔子のように15歳くらいから「この道を進もう」と決められたのなら幸せですが、今の世の大半の人間が20代前半くらいまでは人生の路線選びをしています。ですから、自分の人生に1つ路線を決めて進むということに遅い早いは無いと考えます。「決めたところから、強固に愚直に取り組む」ことで、人それぞれタイミングやスピードは違えど、人格を高められることでしょう。

 

 

④口達者よりも口下手のほうが信用度が高い

論語の中に「焉(いずく)んぞ佞(ねい)を用いん。人にあたるに口給を以てすれば、屡々(しばしば)人に憎まる」という言葉があります。

この「佞(ねい)」というのは「弁が立つ」ことで、「どうして弁の立つ必要があろうか。なまじ口のうまい連中は、かえって人の怨みを買うものだ」といっています。口だけの人というのは、もう一つ信用できないというわけです。

面接をしていても、ペラペラとよくしゃべる人がいます。聞いてもいないことまでしゃべる人がいますが、私はあまりよしとしません。むしろ「剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し」というように、口がうまい人より、口が下手でも正直で芯が強い人のほうが間違いなくいいのです。

口達者な人は、えてして「巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すく)なし仁」になりがちですから、言葉で騙されないようにしなくてはいけません。組織力を高める第一歩は、できる限りいい人材を選ぶところから始まるのです。

 ボクの経験上、口達者で中身もしっかりした人間はほとんどいません。そうはいっても、話している内容や佇まいによってはその限りではありません。べらべらとおしゃべりで若干うっとおしく感じたとしても、すごく知的で興味をそそられるような話であれば何の問題もないでしょう。

害悪なのは、話す口調も話している内容も低レベルで、聞いているこちらが恥ずかしくなるほどに何もわかっていない人間の場合は、しゃべればしゃべるだけ疑われる対象となります。

では、それなら黙っている方が得じゃんと思いますよね。ボクの考察では、得かどうかはわからないけど、大きな損はしないタイプだと考えています。いわゆる「口は災いのもと」というように、いらんことをしゃべったばかりに日々の暮らしに支障をきたすレベルでの大ダメージを負う自爆のリスクは格段に減るからです。しかしながら、話している場所や組織、コミュニティによっては積極的にしゃべり倒すことで「お、こいつなかなか奇抜で面白いな」といった具合に「自分という存在を一発で相手に記憶させる」ことが可能になりますから、実は甲乙はつけがたい部分の話ではあります。

ただ一つだけはっきり言えることは、ボクはどちらかというとしゃべるほうで且ついらんことを言ってしまい爆死することが多いので、できることならしゃべらずに最大限リスクヘッジに留意することを強くオススメします。笑

 

⑤時間を惜しみ、今を全力で生きる

穏やかな老後を過ごすためには、「今ここ」に集中して生きることが大事です。

論語の中に、子路が孔子に死について問う場面があります。「死とはどういうものでしょうか?」と。それに対して孔子は答えます。「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」。「まだ生も知らないのに、どうして死がわかるだろうか」と。

これは釈迦も同じですが、孔子は死についてほとんど口にしませんでした。「そんなことよりも、今生きていることを大事にしなさい。瞬間、瞬間が集まってあなたの一生になっていくんだよ」という気持ちだったのでしょう。私もそう思います。あまり死について考える必要はない。それは自然と訪れてくるものだからです。

~中略~

「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草の夢、階前の梧葉己に秋声」という朱熹の漢詩があります。この「一寸の光陰軽んずべからず」が若いうちはなかなかわからないのです。

振り返ってみればあっという間の人生だからこそ、一瞬の時間を惜しまなければならないのです。この惜しむという気持ちがでてきたら、「この瞬間に全力投球する」という生き方がわかるようになってきます。そして、瞬間に全力投球していくことの積み重ねが、仕事を好きになり、人生を実り多きものにしていくことに繋がっていくのです。

 ボクの周囲の人間を思い浮かべた時に、「時間は有限だから、一分一秒を有意義に過ごそう」という意識が表れている人は5%くらいです。ほとんどの人が、ただ惰性でサラリーマンをやり、仕事から帰宅後はビール片手にダラダラ過ごして、週末はパチンコにでかけるみたいな生活をしています。

ボク自身、意識はしつつもまだまだ足りないなと自覚がある中ではありますが、周囲の人間を本当に心配してしまいます。みんながもっと夢や目標を持ちながら、日々有意義な時間の使い方をしていたら、お互いが刺激しあって実りの多い人生を歩めるかもしれません。

まぁ、人生なんて人それぞれですし、口を出すこと自体がナンセンスなのかもしれませんが、孔子の教えにもあるように、若いうちには気付かなくてもいずれ歳をとったときに思い知らされ、後悔したくはありませんよね。だったら、まだまだピチピチとしている今のうちに、やりたいことをカバンに入りきらない程欲張ってみてもいいのではないでしょうか。

 

◆まとめ&感想◆

 ボクの中で感銘を受けたトップ5を抜粋し、みなさんに紹介させていただきました。

現代社会においては、孔子の教えをすんなり即実践できるほどの余裕は与えられていないのが実情です。特に会社なんかでは、とっくに洗脳レベルがMAXに達してしまっていて、孔子も釈迦もお手上げみたいな人間が多数存在します。そんな中、自分一人はゆとりと情熱を持ち合わせることができたのなら、その時点で勝ち組なのは間違いありません。

もしいま、害悪たちによって精神汚染を自覚しているなら、モヤモヤしている脳内の思考を孔子の教えで埋めてみてください。余分な思考がはじき出され、とてもきれいに浄化されて脳内がクリアになるはずです。

ストレスと抑うつ的なものは避けて通れないのは致し方ありません。

だからこそ、少しでも良い人生を送るように日々自分を律しながら、且つ楽しみながら生きていきましょう♪

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ ミニマリストへ
にほんブログ村